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歌声喫茶の歴史

歌声喫茶の歴史

最近でこそ数は少なくなりましたが、歌声喫茶の歴史は古く1950年、昭和25年ごろに誕生したと言われています。新宿の料理店にて、ロシア民謡を流していたところお客さんが皆で歌い盛り上がったのが歌声喫茶の誕生のきっかけだとも言われています。

歌声喫茶の誕生のきっかけについては色々な情報があり、当時公開されたソ連映画の「シベリア物語」の中で先程と同じように、お店の中でみんなで歌うシーンがありそれがきっかけとなったと言う説もあります。特にこの戦後の時代にはシベリア帰りの抑留兵や労働者などが多かったため、ロシア民謡や労働歌などはよく流れていました。

1950年、新宿に歌声喫茶ブームの先駆けとなる「カチューシャ」、「灯」という歌声喫茶がオープンしました。終戦後と言う時代背景からも、反戦平和を歌う歌や、労働歌などが良く歌われていました。また労働運動や学生運動も盛んだったこの時代において、歌声喫茶はみんなで歌を歌い連帯感を高める場として、その人気を高めていきました。

当時の店内は人が溢れ、歌を歌うのはもちろん、若者たちが議論を交わす場としても良く利用されていました。このような人の中には作家や演劇人や画家などの文化人も多く見られたそうです。

最盛期は1960年前後と言われ、全国に200前後の歌声喫茶が誕生し、全国各地で歌声喫茶は賑わっていました。各歌声喫茶にはその店の顔とも言うべきリーダーが存在し、そこから「さとう宗幸」「上条恒彦」と言ったプロの歌手としてデビューして行く者もあらわれるようになったりしました。

歌声喫茶は「うたごえ運動」という政治的な運動においても重要な役割を果たしました。
また、当時集団就職で地方から都会にやって来た若い人たちの孤独や寂しさを埋める心のよりごとろとしての役割も果たしていたと言えます。

歌声喫茶で歌われていた歌は、ロシア民謡、労働歌、唱歌、童謡などがメインとなっており、流行歌ではなく人々の生活に密着した歌が歌われているのが歌声喫茶の特徴であるとも言えました。 このような歌声喫茶のブームは、うたごえ運動の退潮により終わりを迎えることになります。
1965年(昭和40年)頃をピークに下降線をたどり始め、1970年代に入ると多くの歌声喫茶の姿を見なくなり、1970年代後半に登場するカラオケスナック、そして1980年代にはカラオケボックスの登場と形を変えていく流れになりました。

1970年代には四畳半フォークの時代となり、人々の興味が移り変わって行った事も歌声喫茶の衰退に拍車をかけたとも言えます。歌声喫茶が衰退して行ったのは、歌声喫茶のその経営システムにも問題が有った事も理由の1つとして挙げられます。
歌声喫茶では基本的にお客さん全員で歌う為、飲食物などの注文が少ないのが欠点でした。その為客単価が低いというビジネスモデルとしての欠点を抱えていました。
カラオケ喫茶は一人一人順番に歌う為、自分の出番以外の時には飲食をする機会が増え、歌声喫茶の弱点で有った客単価の低さをカバーしたシステムでもあったと言えます。

このように1960年代を中心に労働者や若者のパワーや心のよりどころとしての象徴とも言えた歌声喫茶ではありますが、現在ではその数は少なくなったものの、根強いファンに支えられ今も歌声溢れるお店もたくさんあります。
ただ最近では昔とは営業形態を変え、イベントを中心として営業を行うお店も多いようです。
通常時は普通の喫茶店として営業し、週に数回や、月に数回と言った頻度で歌声喫茶としてイベント開催し営業するスタイルが多いようです。

このように歌声喫茶と言う場所は、かつて青春時代にその魅力に魅了された年配の方々の思い出や記憶がたくさん詰まった場所でもあるのです。それ故に根強いファンは今でも多く、ファンの歌声が溢れるお店は全国にあります。